個人的主観の謎 (1)

始めから使わなければ良いのだ。

 先日、id:inosinmk2 さんとサシで6時間歌い続けた暴挙はさておき、私が「個人的主観」と言う単語を思わず使ったら「主観はそもそも『個人的』を内包しているのだから二重言及*1では無いか」との指摘を頂いた。
 辞典で「主観」を引いたところ「自分ひとりだけの考え」と出ていた。「個人的」の意味と照らし合わせれば二重言及である事は明らかと思われる。にも関わらず結構使われているようである: google:"個人的主観"
 「頭痛が痛い」は二重言及に見えるのに「個人的主観」が一目見たところそうは見えないのは何故だろう。「二重言及は二語で同一の意味が内包されていないように見えるから発生するものである」と言うそもそもの原因の説明にヒントがあるような気もするが、それではこのケースは「主観」が「個人的」の意味を内包しているように見えないことに起因する誤用(?)であろうか。(すこしだけつづく)

*1:例:「頭痛が痛い」。対して「愛人を愛している」は二重言及にならないのは「愛人」が必ずしも愛すべき物では無いと言う建前に基づく