個人的主観の謎 (2)

 あらすじ: 「個人的な主観」は「頭痛が痛い」の類型である可能性がある。
 ここで、次のような言葉を考えてみたい: 「頭痛が非常に痛い」。「非常に」と言う強調を加えた場合であるが、この場合は「頭痛が痛い」に比べて些か違和感が減っているように見えないだろうか?とは言っても、「非常に丸い円」「凄まじく丸い円」と言う表現は見ての通りおかしい (「丸い」と言う表現に「非常に」とかの修飾は不可能だからである)。話が逸れたが、つまり、「頭痛」が「非常に痛い」である事実を内包していないが故にこのような表現が成り立ちそうに見える。
 さて、「個人的主観」と言う語を考える際「個人的」と言う語が「主観」に内包されている「個人的」を「かなり」と似たような感触*1で強調しているのでは無いだろうか?とすると「主観的」と言う語が「個人的」と言う意味を"弱く"内包しているとは思えない (「私の主観言えば」と書いた時、余り「非個人的(=一般的)」である事は殆ど期待されていないだろう) から、つまるところ「個人的主観」と書いた場合は「超独断的で超偏見的な主観」ぐらいの (内包の意味に留まらせない) 強調が期待されているだろう。余りに個人的主観と言う語を書きすぎて頭の中でゲシュタルト崩壊ティックな事が起き始めているのでとりあえずここまで。
 まぁ私の個人的主観で言わせてもらえばただの誤用(?)が広まってしまっただけのようにも見えなくも無いが。

*1:「意味」と言う語を使うとおかしくなりそうなので避けた